2014年10月13日月曜日

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(Guardians of the Galaxy) ゴキゲンな奴こそ銀河を救う!

ケビン・ベーコンが、ついに銀河のヒーローの代名詞に!
主人公にとって『フットルース』の彼はヒーローなのだ。
いやあ、『インビジブル』や『スリーパーズ』を観なくてよかったね(笑)

・・・と言うのが、映画を観終わって真っ先に心に浮かんだことでした。
なぜなのかは、まあ、映画みてちょーだい(笑)
↑この頃は金髪碧眼の素敵なお兄ちゃんだったのに
いつから金髪碧眼の変態に・・・

ストーリーはシンプルイズベスト。
そして映画の8割でバカをやる主人公たち。
『アイアンマン』のトニー・スターク以上のバカがたくさんいると思えばいいだろうか。
そこにベスト・ヒット・USAな音楽たちが、ストーリー展開に実にベスト・マッチに流れてくる。
観ているこちらはナツメロ状態で盛り上がるが、主人公は1984年に地球から誘拐されてしまったので、彼の中では現在進行形のヒットソング。
ママが作ってくれたベストテープの曲だから、ちょいお兄さん・お姉さんの曲ってのがまたいい。
あこがれの、カッコイイ音楽たち・・・。
ふと、『レスラー』でのセリフを思い出す。
「80年代は最高!」「でも、90年代はニルヴァーナの登場で台無し」
いや、ニルヴァーナ、聞いてたけどさ。それは魂が喜ぶ曲にはならなかったんだよね。
やっぱり、音楽はごキゲンでなきゃ!
そして、この映画はひたすらごキゲンな映画なんである。

しかしまあいやはやよく笑った!
最近のマーベル映画は外れがほとんどないが、『アベンジャーズ』以来の傑作だね。
二時間しっかり浮世の憂さを忘れました。
マーベルって、基本はあり得ないバカなヒーローがバカやりながら世界を救ってるんだけど、バカな中にときどきポロっと出るセリフがいいんだよね。
バカの度が激しい分、そのセリフが妙にくるのです。
たとえ、アライグマが言おうとも!

映画館で私の隣には20代と思しきカップルが。
映画が終わって、彼女の方はいまいちポカンとした表情で・・・・・・。
でもお嬢ちゃん。
「今年一番の映画だ!」と興奮して語った彼氏はぜったいにイイ奴だ。
ぜひとも大事にしてやってくれ!





↑SONYのウォークマンは宇宙でだって使えるのだ!
当時を想えば、いま6期連続の赤字で瀕死の状態になってるなんて誰が予想できただろう。



2014年6月21日土曜日

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(The World's End) そして40が目前だ

覚えている限り、人生で多分最長だ。約四カ月、劇場で映画を見なかった。
東京転勤の内示を受けてから公私ともにバタバタなうえに、東京の映画館は多すぎて、どこで何を観るのか選ぶ気力は残っておらず、気づけば東京生活も三カ月近く。
これはいかん!映画を見なければ!
で、久々に映画サイトを観ていれば、見逃していたコレが再び上映されている・・・!

それが、『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』!うふ。

ここ最近、たまに「あれ?あんたも?」と発見するのが、同世代の監督だ。
たとえば『TED』のセス・マクファーレン。『オブリビオン』のジョセフ・コシンスキーは同年だ。で、エドガー・ライトも同年なんである。いろいろ微妙なメンバーだ(笑)
同世代人が作った映画を見ると、出来の良しあしや好みは別にして、妙に作り手と同調してしまう。
ああ、この人もあの映画観たんだなあ、とか、あの曲聞いてたんだなあとか。
若いころはそんなことになるとは思いもしなかったよ・・・・・・。

私と同年、と言うことは、今年めでたく40歳になる(or なった)というわけなんだが、40歳になるのならんの、という時期は、いろいろ思うところがあるのである。
人生が順調にいっていようがいるまいが、なんとなく40歳になるとなにやら次の世界の扉をあけるような気になってしまう。
次の世界といっても、若いころのように飛び込んでいく気分ではなく、扉が問いかけてくるような、いやそもそも扉が幾つかあって、さあどっちを選ぶ?と門番に聞かれた、『ラビリンス~魔王の迷宮~』でのジェニファー・コネリーの方が近いか。それなら門番に質問をして、その答えから正しい扉を選ばなきゃならないんだが、困ったことにフツー人生の扉は質問しても答えは言わない。

で、この映画では、人生の扉を前にただ流されるまま正面の扉を通り過ぎようとしている友人たちを、サイモン・ペッグ扮するキングが引き留める。
人生が一番輝いていたころに戻って、やり残したことをやり遂げよう!と。
ま、そのやり残したことが、パブの梯子酒ってところが、ああ男って・・・・・・。

途中から物語はナナメ217度に向かって走りだし、金のかけ方は無駄遣いだし、そもそも泥酔してたりメタボだったりする中年があんなに動けるはずもない。だから、リアリティはゼロなんだが、登場人物たちが主張する叫びは直球で胸にくる。
エドガー・ライトのすごいところは、徹頭徹尾はちゃめちゃで大笑いできる話の中に、すっとシリアスな展開が現れてくるところだ(そしてまたあっという間にめちゃめちゃな展開に戻る)。

「俺たちが欲しいのは飲んだくれる自由だ!」

いやもう無茶苦茶なシーンなんだけど、キングたちの叫びで思うのだ。
私はこれから何がしたいんだろう。どこへ行きたいんだろう。
ラストでそれぞれの道を歩んでいったキングたち。
たとえ世界が終わっても、進む道が望んだ道なら、キングのように晴れやかな顔でいられるのだろうか。

・・・・・・・・・(しばし沈思黙考)・・・・・・。

いや、まあ、女の人生はいろいろ複雑だ。
やはり後先考えずに「飲んだくれさせろ!」というのは、今のところ男どもの専売特許のような気がする。
まあだから男って、可愛いんだけどね。



↑それにしても、ビールが飲みたくなる映画だ。
もっとも、私は下戸だけど(笑)




2014年1月31日金曜日

『大脱出』(Escape Plan) 新年サム・ニール祭り

2014年は何ていい年なんだろう。
新年早々から、最愛のサム・ニールの雄姿が拝めるなんて!

サム・ニールの医者役ってあまり記憶になくて白衣が新鮮です。
ただ、役名に「Dr.」とついているの見たとき、つい、注射器を持ってニヤリと笑うサム・ニールや、血だらけの手術服のサム・ニールや、拷問具をもって拘束された囚人をいたぶってるサム・ニールや、怪しい人体実験をしているサム・ニール・・・・・・というのを妄想していました。
実際には、本当に普通の善意のお医者様。
いや、でも、あんな監獄に勤務しているわけだから、きっと過去に医療事故を起こしていたり、末期ガンの患者を違法に安楽死させたりしていて、弱みを握られて協力させられていたに違いない!
・・・・・・こんな私は、サム・ニールにとって本当に迷惑なファンだと思う(笑)

ちなみに私は所長役のジム・カヴィーセルも好きで、今回、TVドラマ「パーソン・オブ・インタレスト」でたまに出る凶悪笑顔が出ずっぱり。Wでプチ祭り気分でした。
でも私がキャスティングするなら、

 サム・ニール = 所長
 ジム・カヴィーセル = 武闘派サディスト医師

で、サム・ニールの所長室には、もちろん「Two Paddocks」のワインがワインセールに入ってるわけだ(笑)
蝶のかわりにワインを愛でるサム・ニール。
『デイブレイカー』と『透明人間』を合わせた感じの役作りでどうだろう?
それって最高~~!

はい。ここまで、ただの私の妄想です。
ごめんなさい。
サム・ニールの出番は、合計しても15分あったかどうかなのに、私の頭は妄想全開。
映画のクライマックスでもサム・ニールの安否を気遣ってしまう阿呆ぶり。
でも、すごく幸せでした。

・・・・・・『大脱出』はスライ&シュワの映画です。
わかってます、そんなこと。
硬派のスライと、コメディパート大得意のシュワのコンビは絶妙だし、一番オイシイ役をイスラム教徒にもってくるところもカッコイイ(確かにもうそういう映画が作られていいころだ)。
デジャヴが見えるほどキメたシーン、笑える見せ場も盛りだくさんで楽しかった。
でもさ、そんなことはみんなが語っているんだから、いまさら私がいうほどのことでもないのだよ。


ということで、今年も好き勝手なコトしか書きません(笑


↑パンフレットから。左目の鋭さが好きだ

2014年1月1日水曜日

2013年総括と明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
2013年は更新再開しつつも細々とした活動でした。
実際はUPした記事の倍以上は映画を観てましたし、下書きのみの残骸も多く残ってたりして・・・。
その一方で、観たかったのに見そこなった映画も数多く(『アイアン・フィスト』とか)。
2014年はしっかり見逃さずに観て、もう少しは更新しようと心も新たにしております(笑
実は、今年で40になります。人生折り返し地点です。
少しは真面目に考えねば(なにを?)

映画についてあれこれ書き始めたのは高校生の頃、媒体は同人誌でした。
就職したのちにはホームページを立ち上げ、一度中断して楽天ブログ、その後このBloggerに移ってきました。
かれこれ20年以上駄文を書いていますが、実はその期間にやっていないことがひとつあります。
「ランキング」「ベストテン」ってやつです。
私ごときが映画をランク付けするなんて・・・と長年思っておりました。
が。
最近になって『ベスト・オブ・映画欠席裁判』を読みまして、この中に「ベストテン選出とは自己表現であり政治である」というサブタイトルがあって、ここで町山智浩氏や柳下毅一郎氏が「好きな映画で人格を判断」「一種の思想の表明、政治的行為」と吠えてらっしゃるので、ちょっと考え方が変わったのです。
「ランキング」とは映画の良しあしを採点したものではなく、宣言なのだということであれば、これは私もするべきではなかろうかと。

ということで、2013年のベストテンを、もう年はあけちゃいましたが、軽く総括させていただきます。
ちなみに、ブログの記事にしてないものが多いのはご勘弁ください。

1位『パシフィック・リム
   正直、これ1本でランキング10位分占めてるような気もする。
   結局4回観て、ブルーレイも予約して買った。ノベライズも買った(多分コミックも買う)。
   『パシフィック・リム』以後で、自分の中で映画への対峙の仕方が原点に戻りつつある。
   すなわち、「こんな映画が観たかった!」と「こんな映画観たことない!」。
   映画とは、このうえなくゴージャスな見世物小屋だ!!!

2位『ゼロ・グラヴィティ』
   2013年最後に観た映画が、堂々2位。IMAXで観れた私は幸せ者。
   『パシフィック・リム』が「観たかった!」映画なら、これは「観たことない!」映画。
   痛烈なまでに「生きていたい」という感情が自分の中に湧き上がるのを感じて、
   涙した(死にそうなくらい怖かったせいだともいう)。

3位『ラスト・スタンド』
   マーシャル・アーツも華麗なガン・ファイトも好き。
   でも、やっぱりアクションの基本は、肉弾戦。
   堂々と老いた姿をさらしつつ、人生経験混みの肉体でイケメン悪党を圧倒する
   ラストの戦いは感動的。脇役たちも定番で好きだ。

4位『アイアンマン3
   装着音が最高だ!!
   『ラスト・スタンド』と悩んだあげく、トニー・スタークがいつもより暗い分、4位。

5位『オブリビオン
   好きなものが好きな感じに描かれている、心温まる映画。
   ノスタルジー満載(笑

6位『ビトレイヤー』
   映画が好きというより、タムナスさん(ジェームズ・マカヴォイを私はこうよぶ)の
   凶悪な顔が好き(笑)

7位『トランス』
   だから、タムナスさんがわるーい目つきをしているのが好き(笑
   もし『フィルス』も見ていたら、ランクインしただろう。。。

8位『ジャンゴ』
   西部劇をタラちゃんが解釈するとこうなるんだなーって思うと、微笑ましい。
   そして結構真面目に、奴隷制度について考えてしまったので。

9位『ゼロ・ダーク・サーティ
   脳裏にこびりついて離れない、悪夢映画。
   そして働く女としての共感がプラス。

10位『テッド
   自分の姿を正面から観る喜びと苦痛の共存している映画。
   それに、マーク・ウォルバークのアホ面がやっぱり好きだ。


あー・・・私って・・・

2014年も、「私好みの映画」をたくさん観れますように

2013年12月25日水曜日

『REDリターンズ』(RED2) そして次世代へと続く道

チケットを買うため自動発券機の前に並んでいたら、隣の発券機で中学生くらいの男子がチケットを買っていた。
発券機でもたもたしている家族連れやカップルが多い中、さすが子供は機械の扱いを覚えるのが早いなあと思って見ていたら、少年が購入しているチケットのタイトルが見えた。

 RED リターンズ

少年に連れはなく、ひとり。発券機の手慣れた操作は、少年がよく映画館に来ていることを示していた。

前作最年長だったモーガン・フリーマンがいないとはいえ、登場人物の平均年齢が60歳近い映画である。観客の平均年齢も40歳半ばといったところだ。
むろん、家族連れはいた。
でも中学生男子が一人で観に来たりはしていない。
この映画は続編だから、彼は前作を見ているはずだ。
『RED』が面白いといった中学生は1人しか知らない(そもそも中学生の知り合いはほとんどいないが)。

それにしてもREDシリーズはヘレン・ミレンの映画だ。
はげ二人もハンニバル二人も、ヘレン・ミレンのエレガンスには敵わない。
セルフ・パロディでエリザベス女王まで披露した彼女は無敵である。
加齢臭などありえない。

↑このコート欲しい・・・

そんな彼女の魅力に、あの中学生は気づいただろうか。
かっこいいおばあちゃんでしかないだろうか?
いや、少年にはわかるはずだ。

イ・ヴォンホンの裸もいつか衰える。
少年が私の歳になるころ、少年のための『RED』が作られるかもしれない。
その時イ・ヴォンホンが出ていれば、彼は感がい深くこの日を思い出すだろう。
私がブルース・ウィリスに、まだ髪があったころをしみじみと思い出すように。

↑誰だって一度は若き日があったのだ

2013年12月5日木曜日

BON JOVI 日本99&100回公演に行ってきた

12歳だ。Livin' on a Prayerを聞いて、BON JOVIのファンになったのは。
姉たちが洋楽ばかり聴いていたこともあって、それまではMADONNAとThe POLICEが好きだったんだが(それはそれでオカシイ小学生だ)、Livin' on a Prayerで、やられた。
お小遣いでSlippery When Wet(この時はテープ)で買い、New Jerseyの時には親がデッキをかってくれたのでCDを買い・・・・・・今に至る。
ただし、ライブデビューは大学生、福岡ドームでのCross Road Tourから。
それからは福岡でのライブは全部参加、ツアーが大阪どまりになってからはお金の余裕もでてきたので大阪や東京に参戦するようになった。
それでも、大阪⇒東京と、2公演梯子したのは今回が初めてだ。


多分、今回の公演は賛否両論あるんだろう。
リッチーはいないし、ジョンの体調は最悪だし(特に大阪)、セットは地味だったし(ただし私はあまりセットに興味がないので別に構わんが)、金返せという人がいても驚かない。
その理屈でいえば、私なんぞ、チケット代に交通費(福岡⇒大阪⇒東京⇒福岡)に宿泊費にグッズ代の合計金額を思うと、ブーイングのひとつやふたつしたっていいのかもしれない。
でも、いまの自分は、最高潮に満ち足りている。
なぜなら、BON JOVIのライブに一番求めているものは、ちゃんとそこにあったから。

ジョンがMCで言っていたけれど、Friendship なのだ、彼らのライブに感じるのは。
不思議なことだし、ファンの錯覚・妄想だと言われても否定しない。
ライブでの私たちとBON JOVIの間にあるのは、驚くほど近しく親しい感情だ。
相手は、世界的ロック・バンドなのにね。

ライブ後、否定的な書き込みをみた。
「日本のファンは(出来の悪さに対して)優しすぎる」(おっしゃるとおり)
「歌詞も覚えてない日本人相手に100回もライブするくらいなら俺の国でやれ、日本のライブは退屈だ!」
("People in Japan seems to be frozen!!"には爆笑した。否定できんし!(笑))

でもさ。
私たちと彼らの間にあるのは Friendship だから、そこには思いやりと励ましと支えあいがあって当たり前だし。
(大阪で、両手を合わせておじぎするジョンは「今日はゴメン、ありがとう」って感じだった)
日本人がおとなしくて言葉がわからないことなんか30年前から日本に来ている彼らは百も承知だし。
(インタビューでも、ジョンは「国によって(楽しみ方の)表現が違う」と言っている)

もちろん、ファンなんだから私たちはライブを楽しみに行くわけだ。
でも、同じくらい、私たちはBON JOVIに、ジョンに楽しんでもらいたい。
リッチー不在だからジョンの負担は大きくて、だからデイヴィッド(大阪での代役ソロには涙がでた)、ティコがんばれ!といつも以上に応援する。
少々不安だったリッチーの代役フィルXだけど、実際にみたら「おまえ結構イイ奴じゃん!」と仲良くなって(?)フィルXコールしてみたり。
そしてもちろん、ジョンの調子が悪くなると、私たちが歌って支える。
だって今までなんども彼らの歌に励まされてきたんだから。
すると苦しそうに歌っていたジョンが、嬉しそうにニコッと笑う。
その笑顔をみて私たちも笑顔になる。
私たちの笑顔で、またBON JOVIが笑顔になる。
そして感動したジョンが、目を潤ませる・・・。
ああ、気持ちが伝わった!と思う瞬間!

この交感があるかぎり、私はライブに行き続ける。
この交感があるかぎり、私はBON JOVIのファンであり続ける。
だって、friends なんだから!

↑こういう顔の時に「がんばれ!」と思う。そしてそのあと笑顔になってくれるのが幸せ

2013年10月20日日曜日

『そして父になる』男は大変だ

珍しく邦画を観にいった理由は、仕事がらみでタダ券をもらったから・・・でもあるんだが、雑誌「映画秘宝」でリリー・フランキーが「(『凶悪』より)先に『そして父になる』を観て」と言っていたから。
もともと『凶悪』は観る気満々で、これを書いている今はすでに観た後なんだが、結論からいえばどっちが先でもショックが大きいから一緒じゃないかと思う、と、リリーさんに伝えてあげたい(笑)

それはそれとして(笑)
実は主役の福山雅治の父親役に私は非常に懐疑的だった。
父親役ができない、と言うことじゃなくて、二枚目で陽性でかっこいい福山に、苦悩する父親ってできるのかなあと思ったのだ。
ところがそんな懸念がふっとんだ。
子供の取り違えを知り、福山が踏切で止まった車の中で、吐くようにしていう言葉に、尾野真知子同様ショックを受けた時、そこにいたのは福山雅治ではなく、当たり前のように血を優先させる父親「良多」だった。

是枝監督は、丁寧に丁寧に家族の姿を撮っていく一方、登場人物の内面を事細かに説明するようなセリフも演出もしない。
その代わり、良多の目に薄暗いものが陽炎のように立ち上っている。
薄暗いもの、と思うのは、映画前半での私は母親の心情に同調していて、良多にたいして激しく反感を覚えていたからだ。
でも終盤、彼が取り違えに関係した相手と会う場面で、心が一気に良多に傾いた。
良多は、彼の周囲で育まれている「血のつながりのない家族」の有り様に、打ち負かされる。一気に崩れ落ちていく。
崩れて、もう一度、「父親」をやり直そうとする。

↑この目を六年も育てた我が子にする・・・男親って男親って・・・

知人の男性(父親である)がこの映画を観たというのだが、前述の、私がショックをうけた良多の言葉を、覚えていなかった。尾野真知子がその言葉のことで良多を責めるシーンでやっと「そんなことをいってたなあ」と思ったそうだ。
たぶん、男性は、この映画で良多と同じ心の軌跡をたどるのだろう。
男とは、なんとまあ苦労の多い生き物なのか。
たしかにこれは、「父に<なる>」だ。
私は未婚で子供もないが、前半は尾野真知子の心情に同調してたと書いた。
だが良多が母親たちに打ち負かされたとき、私は良多に対して母性を感じて、少しだけ泣いた。
彼があまりに弱々しくて。
映画の終わり方も、良多がなにかの決断をしたわけではなく、父としての一歩を踏み出す決意が見えた、そんなところで終わっている。
もがく良多が、たまらなく愛しく思えた。

私がこの映画で泣いたのは、1シーンだけ。それも、目頭が熱くなった、という程度だ。
泣いてる暇はなかったのだ。しっかり見ていなければ、掬いとれないいろいろなものが画の中にあった。
一方で、私の周囲でこの映画を観た女性たちは、感想を「そんなに泣けなかった」の一言で終わらせた。
だがしかし、映画とは、「泣ける」かどうかで価値が決まるのか?